もう、何が何だか解らない世の中になっちゃった。
世界は解ってるのかも知れないけど、私にはよく解らないことばかり。
あっちでもこっちでも憶測と不安と不満と真実が混じり混ざって、泥沼色になって私を刺激する。
続く延期と延長。
どれもこれも、「あともうちょっとで日常に戻れる!」ってところでこうなってる。
8月31日。
夏休み最終日は、溜めに溜めまくったワークの消費に費やされる。
あと数時間で9月1日。
かなりの絶望と焦りと、久しぶりの高揚感にワクワクし始めた頃、
神さまの時計がナニモノかに盗まれて、
ぐいんと針を捻じ曲げられて、
気が付けば世界が7月終業式の日の帰り道に巻き戻されてた、ような…
…ような、感覚がする。
この感覚は、もう何度目だろう…
色んなところで起こりすぎて、
あるはずの感覚が無感覚になったきた。
だから、何かが変わればこのタイムループの枠から抜け出せる気がした。
そこで思い付いたのが、今日のタイトルだった。
ずっと、コロナに負けたくなくて、
やりたいことやるために自粛されて、
それを受け入れて、
色んなものを手放して、
その代わり、それ以上のなにかも感じる、
そんな毎日だった。
それが繰り返されるのであれば、もう、潔く堂々と、コロナに負け《た》と言ってもいいんじゃなかろうか。
そうしたら、世界も変わって視えるのだろうか。
沈む夕陽が、同じ地球の何処かでは昇る朝日であるように。
なんてね。
バカの独り言はここまでにして。
せっかくだから、
明日のためにもゆっくりいっぱい寝て、
ツルツルのお肌でも、手に入れてやろう。
そのくらいなら、きみも文句は言わないでいてくれるだろうか。