《病みたい夜》のひとりごと。

ほしい、ほしい。


あいが、ほしい。


きみの、あいが。


わたし、ほしい。


それが、ダメと。


なれば、わたし。


あなた、ずっと。


そばで、えがお


みせて、わたし。


わたし、ずっと。


きみの、あいが。


ほしい、ほしい。


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最近家族ラインが冷たい(しかし、我が家としては通常営業である)ので、なんとなく胸の内を詩としてネットの海に投げてみた。


感覚としては、そう…メッセージボトルに近い。最近、Switchのあつ森が流行っているけど、DSのどう森時代、海辺でメッセージボトルを拾うのが本当に大好きだった。あつ森は…Switchを持っておらず、プレイ出来てないのでなんとも言えない。


現実の世界ではまだメッセージボトルに挑戦したことはないが、いつかやってみたい…


…でも、手紙を託したビンを海に流すのは、このご時世だと環境汚染扱いになるのだろうか……まだまだ世の中、知らないことで溢れてる。その知らないこと、一つひとつを解明していくのも面白いし、また、知らないままでずっと居たいと思える事柄もある。


メッセージボトルの件は、そうだなぁ…


本当に、「やる!」って決心がついた時に改めて調べることにしよう。その時が来るまでは、メッセージボトルは遠い波が運んでくれるものという、ロマンチックなままのもので居てほしい。



一人、自粛モードで頑なに家から出ない生活が始まって、そろそろ一週間。


よく、演劇や小説で出てくる「籠の中の鳥」という表現が私は大好きなのだが、もしかすると、こんな気持ちだったのだろうか…そう思うと、なんだかモヤモヤする。「籠の中の鳥」に抱いていた純真さや儚さを、今、私は全く感じられないからだ。


それは、私が「自由に外に出る」ことができる鳥だったからかもしれない。ただ、陽の光を浴びたいと思うのは憧れではなくスッキリしたいという欲望だし、いかんせん部屋の中の空気や雰囲気が重たくて、悪い。


勿論換気のために一日数回窓を開けて換気はしているが、ウィルスが蔓延っているこの世の中で、数分間窓を開けるというたったそれだけの行為にも、躊躇いが生まれてしまう。


あぁ、公園の桜を見ながら友人と鬼ごっこがしたい。


憧れの、美しい「籠の中の鳥」は私には似合わないし、知らなきゃ良かったロマンだったかもしれない。


けれど、やっぱり永年美しいと思っていたものは美しいことに変わりない。


いつか、明かない夜が明けて、再び自由に飛び跳ねる鳥に戻れた時、私はまた、「籠の中の鳥」を羨ましそうに見つめるのだろう。



それまでは、愛を欲する、「籠の中」での出来事を、堪能していましょう。